考察記録

カッコつけず、ありのままの思いをさらすブログ

人とつながるという意義

かれこれ16年にもなるでしょうか。



パソコンを使って家でほそぼそと仕事をしています。



WEBデザインがメインです。



ほかにもいろいろやってきました。


種類が多くて挙げきれませんが、


いまは印刷物制作やライティングもすこし。



まさか自分が一人家でこういった仕事をするとは思っていませんでした。



趣味の延長線上から始まったのです。



もともとは兄から自作パソコンを譲り受け、


チャットをする楽しみからネットにハマりました。



そのうち、「こんなにパソコンの前にいるなら仕事に繋がるといいな」と思い始め


仕事をさがすわけですが、なかなかありませんでした。



そこへ、ひょんなことから女性をメインとしたSOHOチームに入ることとなり、


メールマガジンを書く仕事から始まりました。



とはいえ、報酬なんて本当に少なく。


メール会議で編集を進めていくわけですが、1ヶ月数千円でした。



ライティングするだけで数千円?


お小遣い程度でもいいじゃん!


そう思われる方もいるかもしれませんが、


一日中ずっと他のライターとメールで打ち合わせしているので、


時給換算にした場合、百円もいかないでしょう。




仕事と言えるのか?


ボランティアじゃないか?



今では当時をそう振り返ってしまいますが、


いやいや、現在も当時と変わりません。




WEB系ライティング料のやすさと言ったら!


1記事800文字で300円とか!!



800文字とはいえ、リサーチや校正する時間も含まれるので時間がかかります。


その価格設定にゲンナリしてしまいます。


内職価格です。




ブラック企業ならぬ、ブラックワークでしょうか…




そんな内職のようなライティングの仕事も今もちょこっとやってますが、


それをうけることでWEB系の仕事をもらえることもあり、


本業につなげるための「営業」としています。




今でこそ、そういった狙いで安くても引き受けるのですが、


当時はそんな意図もなく。



ただ、がむしゃらに、やみくもにやっていました。




なぜそんなことをしていたのか…?


それは自分にとって


“社会とのつながりが何よりも意義のあること”


だったからです。




たとえ内職程度の料金でも誰かに貢献できる、



それが生きがいに感じられました。




当時二人ちいさい子供がいましたが、仕事はできませんでした。


24時間、面倒を見る必要があるからです。



育児中の主婦は本当に孤独です…。


家事と育児。「大人」としゃべるのは夫だけ。



社会から断絶された状態はハンパなく自尊心を打ち砕きます。




子供を持つ前は数年間企業に務めていました。



仕事一筋のキャリアウーマン(今では死語)ではなかったのですが、


仕事をすることで学ぶ、面白さを感じていました。



そこから一気に生活が変わり、


四六時中子どもとずっと家にいる生活。


頼りにしている夫も帰宅の遅い日が多く、まさに耐えられない状況でした。




だから、少しでも社会とつながりがあることがとても有意義に思えたのです。




「社会のつながり」は、「人とのつながり」ですね…




今では、私がつながっている「人」の種類がふえました。



夫、子供、両親、学生時代の友だち若干名だけだったのが、


義母、しごとの取引先、子供関係の友だち、PTA役員の人たち


もプラスされました。



まぁウェルカムな人だけではありませんが…汗




年を重ねるにつれ、いろんな「人」との関係構築が増えたせいか、


“人とかかわる”という苦手意識が徐々に減ってきています。



好む・好まないにかかわらず、


人と関わっていくのが人間、なのかもしれません。



生まれ持った才能か、コツコツ努力型か。

生まれながらにして秀でた才能があれば、おそらくその道はうまくいく。



そう思っていた時期がありました。



でも…。そうとは一概に言えないな。


最近そう思っています。



息子は小さい頃から他の子とは違う、ちょっと異なる性質の子でした。



言葉がうまく出なかったり、集団行動ができなかったり。


なんど市の相談所や小児科へ通ったことでしょう…



なぜこんなにも他の子と違うんだろう、親として悩む日々でした。



でも、出来ない何かに注目するより、出来ることを伸ばそう。



そう考えました。




息子は小さい頃からリズム感がありました。


そうだ、この音楽面で自信を持たせよう、と。



得意な音楽を伸ばすために、小学生の時から音楽教室に通いました。


最初は先生の言うことが理解できなかったりしましたが、


「うまいね!」と褒められつづけ、


ぐんぐん上達し、発表会ではハッとするプレイをするほどまでになりました。




高校生となった今、ある程度スキルもあがったこともあり


テクニックはかなり上手くなっています。



ただ、最近ではちょっと伸び悩みを見せています。



まぁ周りが期待してかなりハイレベルなものを要求しているのかもしれませんが。




そこへ、以前から音楽に挑戦したかった超初心者の娘が、


取り組むこととなりました。



練習を重ねに重ね、初心者ながら少しずつ伸びてきました。




その様子を見て、


いくら才能があっても、スキルを上げるために自ら思考をしていかないと、


いずれ努力型に越されることがあるかもしれないな


そう思いました。




以前からあまり息子はあまり考えていない面があり、


感性に頼っている部分が多いのです。



本能にしたがって、あれこれ試行錯誤することなく、こなしてしまうのでしょう。


もともと得意分野なので、努力なしにやっていましたし…





娘が息子を越すには相当な時間をかけてスキルアップしなければいけませんが



娘は思考力がありコツをつかむのが上手いので、



ひょっとしたら?逆転することもあるんじゃないか?



なんて頭をよぎりました。



まぁその可能性はすごく少ないですが。。





「持って生まれた才能」プラス「努力」が一番強いとは思うのですが、


周囲の期待感はよそに、うまくそうならない時があるものです。




息子がこれからこの才能をどう活かしていくのか。


どう壁にぶちあたり、乗り越えていくのか、いかないのか。




今後の息子をそばで見守っていくのが楽しみです。





慈愛か、偽善か。

最近、同居の義母を車いすで通院させています。


この2ヶ月ほど急に鬱状態になり、ほとんど食事も取らない状態が続いています。




義母がこの家に来たのは8年ほど前。



夫が高校生の時に離婚し、義父はすでに他の女性と一緒になっているので、


私たち夫婦と同居したのは義母のみです。




正直、同居はイヤでした。


自分の親と一緒に生活するのも大変なのに。



でも長男だし…と結婚するとき、すでに覚悟はしていました。



一緒に住むからには気持よく住みたい。


うまくいくようにいろいろ努力しました。




しかし、難しかったです。




「これはやらないで」と何回お願いしても、何度もやってしまう義母。


その度に丁寧に説明するものの、やってほしくないことを繰り返す─


ストレスがどんどん溜まっていきました。



義母がボケてきているわけではありません。


そういう性格だろうとは薄々気付いていました。


「理解していないのにわかったふりをして、注意されたことも忘れてしまう」


そして


「ダメだと言われていても、頭に思いついたことはすぐにやってしまう」


そういうタイプでした。



自分とは真逆のタイプ。



ひとつひとつは小さいことですが、そういった同居のルールが守られない状況に、


「ちりも積もれば」状態で鬱憤は溜まっていきました。





ここ2~3年はほとんどお互い話さなくなり、


しかし繰り返される同居ルール無視に、ついには離婚すら考えるようになりました。





しかし2ヶ月前のこと。



何の前触れもなく、義母はこれまでのことを謝ってきました。


「いままで勝手にしてきて申し訳なかった…」


そういって頭を下げてきたのです。



正直突然のことでびっくりし、謝られても困る…と戸惑いました。



そして怒りに似た感情も抱きました。



そもそも謝罪が必要な問題ではないし、それを理解していない。


そんな義母に失望したのです。




家賃や生活費を1円ももらっていませんでしたが、


カードローンも数万円程度あり、


お金に行き詰ったために謝ってきたんだろう、と判断した部分もあります。





でも、、、



今まで反省なんてしなかった義母が悪かったと思っている。


もうそれでいいんじゃないかと考え始めました。


過去のことはさておき、これから新しいスタートを切ろう。


そう思い直しました。





しかし思い返せば、この段階ですでに義母は鬱状態になっていったようでした。



徐々に食事を取らなくなり、部屋にこもりきり・寝たきり状態になりました。



実は、その半年くらい前に体力が徐々に落ちこんていたことや、


尿漏れがひどくなってしまったことが鬱のきっかけになったのではないかと


後々の診察で分かりました。




最初は謝られても怒っていた私ですが、


義母がこのような状態になり、私の中に違う感情が出てきました。




放ってはおけない。


とにかく元気になってもらいたい。


どうしたら改善するんだろう。





症状や対応、病院のことをネットで検索したり、


地域センターに問い合わせたりしました。




なんどか通院するうち、最近は少しずつ食事量が増えてきました。



一時期よりも義母が精神的に落ち着いてきたのは


薬が効いているからかもしれませんが、少しホッとしています。





あれほど義母と一緒の空間にいるのはストレスだとか、


顔も見たくない、話もしたくないと思っていたのに


今では義母に声をかけ話を聞き、食事を用意している─


3ヶ月前の自分は想像すらしていませんでした。




この状況がいつまで続くか不明です。


しかし、ストレスを抱えていた時よりはなぜか気持が楽になりました。




“これは慈愛的感情ではなく、偽善なのかもしれない”



でも、、それでもかまわないし、


そうだとしてもどうでもいいこと、だと考えています。



ある程度自分がよいと思ったことを思ったままに試してみようかなと。


今にきて「お互いさま」になっているのかもしれないけど、


ある意味自分勝手かもしれないけど、



自分の気もちがそれで楽になるなら、気が済むように動こうと思っています。